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2000  Vol. 13


全日本ラリー選手権四駆部門第8戦 ツール・ド・東北

 

SSのないラリーは苦手

「乗れる」はずのハイアベ区間、濃霧が運命を狂わせた

 

 

レポート:コドライバー山口顕子


青森で初めての全日本ラリー
 東北で全日本ラリー選手権が開催されるのは12年ぶり、青森県では初めてのことだという。去年の夏、同じ地域で地区選手権の「ツール・ド・東北」を開催して自信をつけた主催者が、今年は全日本戦として開催を申請し承認されたのだ。

 エントラントにもファンにも喜んでもらえるイベントにしたいという主催者の意気込みを反映して、今回のエントリーフィーは最も高いイベントの3割安、ギャラリーステージ入場料は無料、宿泊についてはラリー関係者特別割引が設定された。しかも、もし規定枠いっぱいのエントリーが集まれば、エントリーフィーの一部返金まで考えていたらしい。

 競技内容はSS主体で計画されていた。そもそも昨年のラリーがレカロカップシリーズの1戦だったのだから、それは当然だろう。レカロカップとは、WRCなどと同じようにFIAの規則に準拠したスポーツ性の高いラリーを日本に定着させようという試みで、1997年に創設された。ちなみに、その初代シリーズチャンピオンは西尾雄次郎・山口顕子組。同じ人が続けてチャンピオンにならないように、シリーズ3位までのドライバーには翌年と翌々年はハンディ キャップが与えられる。それがうまく機能しているためか、98年のチャンピ オンは奴田原文雄、99年は増村淳と毎年チャンピオンが入れ替わっている。

 今年のツール・ド・東北もレカロカップとして企画され、SSとリエゾンのみという構成になるはずだった。主催者はラリー開催の案内状とともにSS距離と構成を明記したチャートも同封してくれた。その資料はもう捨ててしまったが、たしかSSは全部で12本ほど、距離にして50kmぐらいはあったと思う。

 

SSができない
 ところが、ラリー開催1か月ほど前になって困った事態になった。主催者がJAFに提出した書類に不備があり、SSの実施は認めないという判断が示された。SSの実施許可を得るには、警察に書類を再発行してもらう必要があったらしいが、結局それは実現せず、従ってSSもできないということになっ た。
 
 SSができないという制約の中、出場者に「速さ」で勝負してもらうには、 指示速度を高くする「ハイアベ区間」を設けるのが一般的だ。しかし、「ハイ アベ区間」は一見SSによく似ているが、SSに比べると競技としての安全性と公平性に大きな問題がある。主催者もこの点はよく承知していたので、なんとか安全性と公平性を確保する方策を練ったという。しかし結局、安全性と公平性を兼ね備え、しかも競技性を確保する方法は、開催日までに見つからなかったようだ。すべての区間に指示速度が与えられたが、たいていの林道では50km/h、最も高い区間でも59km/hと設定された。

 ある区間をどの程度の平均速度で走れるか、というのは、その道の路面状況や曲がり方、それと気象条件に左右されるが、今の全日本ラリー四駆部門では、Cクラストップ選手の平均時速が60km/hを下回るようなSSはほとんどない。高速のほうがスポーツ性が高いので、主催者がSSを設定する場合、アベレージがある程度高くなるような道を選ぶからだ。

 今回の場合、主催者がもともとSSを設定するつもりで選んだ道を、「アベ レージ走行」(指示速度に従って走ること)しなければならない。しかも、「アベ レージ走行」区間は「法定速度」を遵守しなくてはならないので、指示速度は59km/h以下しか設定できない。インプレッサやランサーであれば、ほとんど誰でもその速度で運転でき、勝負にならない。もしも、チェックポイントに早着した場合は、その分をマイナス減点とするような規則が可能であれば、速く走るほど減点が少なくなって多少は競技らしくなるかもしれない。 しかし、そういう規則は認められないらしい。

「正解秒」に合わせてチェックイン
 主催者はラリー前にすべてのチェックポイントの正解時刻を公表した。そうすれば、いくら早くチェックポイントまで来てしまっても、正解時刻になるまでチェックインを待つことで「早着」による減点は防げる。速く走れず、正解時刻に間に合わなかった場合のみ減点を受けるはずだ。実際、ほとんどの選手は正解時刻の数十秒前に到着した。そして、チェックポイントの手前で止まり、その「秒」になった瞬間にチェックラインをまたぐという作業の繰り返しになった。

 本来、FIA規則やレカロカップシリーズであれば、勝負の要素はほとんどSSのタイムだけと言っていい。だから、SSのフィニッシュライン以外のチェックポイント(タイムコントロール)は、分単位で計時する。しかし、SSのないラリーでそれをするとまったく順位がつけられないので、今回はどのチェックポイントもすべて秒単位まで計時することにしたのだろう。

 

偶然が減点を左右する
 そういうわけで、全日本のレギュラーメンバーにとってはまったく退屈なラリーになってしまった。しかし、いくらチェックポイントの正確な場所と正解秒が公表されていても、うまくその秒にチェックインできないことはある。たとえば、オフィシャルの時計と自分のクルマの時計が少しズレている場合だ。分単位の計時ならそんなズレは影響ないのだが、秒単位では問題だ。実際、 4CPではほとんどのクルマが1秒遅れと計時されてしまった。何人かにチェックインしたタイミングを聞いた結果から推測すると、オフィシャルの時計が0.7秒ぐらいすすんでいたものと思われる。そういうことで1秒の差がついてしまい、しかもその1秒が非常に重い。まったく不合理な話だ。

 このCPで減点を受けなかったのはCクラスでは大庭誠介選手ただ一人。秒が変わる瞬間にチェックインした、という。こうして1秒のリードを得たわけだが、この状況では1秒のリードというのは非常に大きい。大庭選手は、「オレが優勝できるのは今日しかない」と俄然気合が入りだした。

 大庭選手は元アドバンチームのドライバーで、93年を最後に引退した。99年になってカムバックしてきたものの、はっきり言って今は優勝争いができる速さはない。だから、今回のようにSSがまったくないラリーは千載一隅のチャンスといってよかった。大庭選手だけではない。ほとんど誰が優勝してもおかしくない状況だった。

 第1ステージ(WRC式に言えばセクション1)の8つのCPを終了して、 少ないながらも差がつき始めた。すべてのチェックポイントを減点0であがった大庭選手が1位、1か所(例の4CP)で1点くらったのみであとは0に抑えたのが西尾、奴田原、松井。それに続いて2点が3人ぐらいいただろうか。

 

 第1ステージが終わりに近づくころ、「こんなラリーなら第1ステージだけで打ち切ってほしいなあ」という声さえちらほら出始めた。しかしそれだけの理由でイベントを中止できようはずもない。主催者の努力に報いるためにも、何はともあれ一応問題なく終了するよう協力すべきだろう。シリーズポイントのトップを争う西尾と奴田原が話し合い、そういう結論に達した。二人の動向に注目していた他の選手たちも、それに従ってラリーを続行した。

濃霧が意外な展開を呼ぶ
 ところが、第2ステージに入って思わぬハプニングが起こった。11〜12CP間で濃霧が発生したのだ。ここは指示速度が59km/hの区間。昼間、 5〜6CPとして通ったときは、ゆっくり走っても1分以上時間が余った。だから霧が出てもまあ大丈夫だろう、と誰もが思ったにちがいない。この区間は9kmもあるが、その全線にわたってずっと濃霧に包まれたまま、ということはあるまい。どこかで霧が薄くなるにちがいない、と考えた人が多かったと思う。

 濃霧の中では周囲が見えず、道が曲がってるのか曲がってないのかわからないうえに、ペースが普段に比べてずっと遅くなるのでタイミングが狂う。ノー トが遅れた場合、取り返しのつかないことになる可能性があるから、コドライバーとしてはこういうときは早めに読みたい。しかし、西尾は常々ノートを早めに読まれるのが嫌いで、ちょっとでも早いと「早い!」と言って怒る。それでコーナーを見ながら早くならないように気をつけていたら、本来早めに読まなければならなかったところで遅れ、コースアウトしてしまった。

 

 「うわーっ、落ちた!」と西尾は叫んだが、幸い大事には至らず、なんとか道に戻ることはできた。まだ次のCPまで8km以上あるし、後半のハイス ピード区間で取り戻せるだろうと思っていた。ところが、右直角コーナーを曲がって橋を渡るべきところを、橋の手前でいきなり大きく滑ってアウトに飛び出した。昼間ここを通ったとき路面は乾いていたが、夜になって雨が降り出し、路面が濡れていたのだ。私たちより前に走った誰かも同じように滑ったら しく、すでにそのあたりの草はなぎ倒されていた。クルマにダメージはなかったが、またも大幅なタイムロス。

 ハイスピード区間に入ってもいっこうに霧はうすくならない。ここは40メートル以上の直線が多く、100メートル以上も何か所かあった。だが、 ペースノートには距離が書かれていなかった。なぜ書かれていなかったのか、 結論を言えば、西尾と私の意志の疎通がうまくいってなかったことが原因だ。 互いの言い分が食い違っているので真相は藪の中だが、西尾としては「距離はノートに書いておくだけで、見えている場合は読まなくていい」と言ったつもりだったらしい。私のほうは、 「見ればわかるのだから、ノートに距離は必要ない」という意味に受け取った。私自身、短いのは略しても40メー トル以上の直線は読むべきだと考えていたので、 これにはとても不満だったが、実際、レッキ中も距離は読まずに走ったので、「確認もしないのだから、いらないのだろう」と、ノートを清書したときに距離はもう転写しなかった。

 濃霧の中でストレートの距離がわからない、というのは非常に困る。たとえば、40 メートルといえば時速60km/hで走ると2.4秒かかる。60メートルなら3.6秒かかる。距離がわかっていれば、「少なくともこれぐらいは踏んでいられる」と 何秒間かは安心して全開にできるところを、「すぐに次のコーナーかもしれない」と思うと、ほとんどアクセルが踏めない。アクセルを抜いたまま何十 メートルもダラダラ走るのだから遅いのは当然。2回のコースアウトもあったが、一番痛かったのは「ストレートの距離がわからない」ことだったと思う。 この区間だけで21秒も遅れてしまった。

 

失敗と成功の分かれ目
 これでトップ争いから脱落したのは確実だった。12〜13CPはただのト ランスポートなので時間が余る。ここで情報収集した。1号車の松井は7秒遅 れ。「まさか全線にわたってこんなに濃い霧ということはないだろう、そのうち薄くなる」とタカをくくっていたら、いつまでたっても薄くならず、慌ててペースをあげたが間に合わなかった、という。

 3号車綾部は1秒遅れ。「チェックポイントの手前で何秒か先行してたからペースを落としたら、落としすぎちゃった。他の『ハイアベ区間』はアベ(指示速度)が50なのに、ここだけ59だったことを忘れてたんだ。」途中の橋の手前はどうだったか聞くと、「あそこはレッキのときにちょっとスピードを出してみたら行きすぎたんで『ここは滑るな』ってわかったんだ。あそこだけ赤土なんだよ。」そうか、今回はSSではないということで、私たちはレッキ のときにあまりきちんとコースを見てなかったような気がする。もちろんいつもマジメにやってるつもりなのだが、心のスミには「SSでもないのに・・・」という気持ちがあったのかもしれない。

 私たちのすぐ後ろ、5号車の奴田原がやってきた。「何秒?」と聞いたが、 いつになく元気のない様子に「何かあったな」と、ちょっと期待(?)してしまう。「9秒も遅れたよ。コースアウトして落ちそうになった」とほとんど放心状態で言う。トップ争い脱落という事態にかなりショックを受けているようだ。

 

 勝田くんは1秒遅れ。レカロカップシリーズでは、FIA規則のラリーと同 じようにSSフィニッシュ地点に赤いカンバン、その数十メートル手間に予告の黄色いカンバンを立てるが、SSがなくなったこのラリーでは、チェックポイントに赤いカンバン、その手間に予告の黄色いカンバンを立てていた。勝田くんのコドライバーが黄色いカンバンでまちがえてラリーコンピュータのボタンを押してフリーズさせてしまい、パニックしていてどうすればいいのかわからず 「とりあえず全開」と指示したので、勝田くんは素直にそのとおりアクセルを踏んだ。いったい何秒でチェックインしたのかわからなかったが、結果としてたまたま1秒遅れだったそうだ。

 その2台うしろ、大庭センセイがやって来た。すかさず誰かが尋ねる。大庭 センセイは胸を張って(いつもふんぞり返っているような体型をしているが、 このときは本当に鼻高々に見えた)「0秒だよ」と答えた。「すごい!」とみんながため息をつく。これで大庭センセイの優勝はほとんど決定したと言っていい。さすがに千載一遇の優勝がかかると気合が入るようだ。とくに霧のようにリスクが大きい状況では、気合一発でかなりタイムがちがってくる。

 私たちは、そのあとのチェックポイントはすべて減点0でクリアしたが、大勢に影響なし。結局、12CPの結果が順位を決めることになった。

終わり良ければ・・・
 ラリーが終わったあとで、増村が例の濃霧の区間で転倒したと聞いたので、 「おっ、ひょっとしたら増村には勝てたかも」と思ってタイムを聞きに行くと、22秒遅れという。私たちが21秒遅れだったと聞くと、増村はものすごく嬉しそうに叫んだ。「なあんだ、西尾さんは転倒したヤツより1秒早かっただけか。これでまたイジメるネタができた。」

 甚だ面白くない結果に終わったが、最初に予想していた「ほとんど全員減点 0で、クジで順位を決める」という事態にはならなかった。濃霧の区間だけとはいえ、ある程度実力が反映された結果となったことはよかったと思う。濃霧の区間を減点0で走った大庭センセイが優勝し、1秒遅れだった綾部さんが2位、同じく1秒遅れだった勝田クンが3位というのは、まあまあ納得できる結果だ。SSがあれば、私たちも奴田原も、もっと上位に行けたのに、という思いはあるが・・・

 当初は、「主催者はハイアベ区間を乗れなくするために、チェックカードに書いた時刻から1分遅らせてスタートさせようとしている」という噂も囁かれた。たしかにそうすれば「競争」はできるかもしれない。しかし、「闇ルール」でラリーをすることは、ラリーの社会的立場を悪くすることにつながる。 出場者も主催者もそのことをよく理解し、スポーツとしては甚だ不満な形ながら、規則どおりにこのイベントを成立させるために協力した。

 表彰式では選手は口々に主催者の労をねぎらっていたそうだ。私たちは今回は表彰式には用がなかったので出席しなかったが。開会前は「もうラリーなんか主催しない」と言っていた主催者だったが、出場者の協力が嬉しかったのだろう、「また次を目指して頑張ります」と閉会後に話していた。

 

いつものパターン
 さて、濃霧の区間でペースノートの距離がなかったことに関してまったく違った認識を持っていた西尾・山口コンビ。ラリー終了当日は怒って口もきかず、青森から別々に大阪に帰った。まあ、こういうことは年に1回ぐらいあるので特に気にしていない。その後1週間以上してからやっと話し合ったが、いつものように、どちらも自分の記憶が絶対に正しいと言って譲らない。これもじゅうぶん予想できたこと。こういうことがあるたびに、自分に対する強い自信ゆえの頑固さを、自分も相手も同じように持っていることを再認識する。いわば似たもの同志 、ということがわかっているから、何度こういうことがあってもコンビを続けていられるのかもしれない。

 しかしこうなると、過去にどうだったから自分はこうした、という説明をいくらしても無駄。その「過去」の認識がちがっていて、その点ではどちらも絶対に譲らないのだから。そこで、これまでのことはさておき、これからはこうしよう、という前向きな解決を模索することになる。これもいつものパターンで、今回もこの方法で一件落着した。

 それにしても、SSのないラリーはやっぱり苦手なのだろうか。SSがない、となれば速さはあまり重要ではなく、偶然や運が勝負に大きく影響する、 と思うからなのか、二人とも必要以上にナーバスになる。その結果、つまらないことでみすみす順位を下げているような気がする。もったいないと思う反面、SSのないラリーでいい成績をとってもあまり嬉しくないだろうから、これでよかった、という気もする。

 

 残り3戦はおそらくどれもSSで勝負がつくラリーになるはず。悔いを残さないような戦いをしたい。
 

Cクラス競技結果(出走22台)

順位 クルー 車両 タイヤ 総減点(秒)
1位 大庭誠介/斎藤哲史 ランサー YH 0
2位 綾部美津雄/宮城隆仁 インプレッサ DL 3
3位 勝田範彦/北田稔 インプレッサ DL 4
4位 松井孝夫/遠藤彰 ランサー YH 8
5位 奴田原文雄/小田切順之 ランサー YH 10
6位 菅野正之/小久保昌巳 ランサー YH 10
7位 石田正史/秋田憲吾 ランサー DL 10
8位 西尾雄次郎/山口顕子 インプレッサ FK 22

 

Date  2000年7月22日〜23日
Place  青森県岩木町百沢スキー場スタート・フィニッシュ
Data  総行程310km、SSなし